都から勿来まで二十日あまり

月刊りぃ~ど掲載記事
海岸

 印刷直前になって、万葉の歌の約百十首の「なこそのせき」を再度総点検しました。

 その中で、季語のない簡単明瞭な歌がありました。有名な堀河院百首の雑の項にある源師頼もろよりの歌で「たちわかれ はつかあまりになりにけり けふやなこその せきをこゆらむ」(1105年~1106年頃)という歌でした。

 都から勿来までの距離を当時の平均歩速で割ると、二十一日程度になり歌とピッタリ符号することがわかりました。一次史料によって、現在の関趾付近がなこその関であると立証できたと思います。