長久保片雲氏より、
「東奥紀行は、赤水が、四十歳頃まだ高萩で農民でいた時、友人を誘って東北と新潟方面を旅した記録を後年、江戸小石川の藩邸で、甥の中行にまとめさせたもので、頭注(注記欄)も赤水の指示の下でまとめられたことは間違いありません。「名古曽関 一作 勿来関」とあります。彰考館の先輩が捜索した造語を赤水さんが紹介したことになります。赤水さんの史料が今年国の重要文化財になりました」との貴重な話をお聞きしました。(勿来の文字は儼塾集で使われていたので片雲先生の許可を受け一部訂正しました。)
長久保片雲氏より、
「東奥紀行は、赤水が、四十歳頃まだ高萩で農民でいた時、友人を誘って東北と新潟方面を旅した記録を後年、江戸小石川の藩邸で、甥の中行にまとめさせたもので、頭注(注記欄)も赤水の指示の下でまとめられたことは間違いありません。「名古曽関 一作 勿来関」とあります。彰考館の先輩が捜索した造語を赤水さんが紹介したことになります。赤水さんの史料が今年国の重要文化財になりました」との貴重な話をお聞きしました。(勿来の文字は儼塾集で使われていたので片雲先生の許可を受け一部訂正しました。)