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11. 現在勿来関跡は山の上にありますが、古代の関は平地にあったという人がいます。

(史料10)

山と言っても海抜八十メートルで標高差は七十メートル程度です。 全体としては、高山とまでは言えません。

窪田の熊ン道を上がった古舘跡近辺など、自然の地形を利用した要塞にも見えます。山形の鼠ヶ関と酷似しています。

その他の関も低地や平地ばかりではありません。

類聚三代格にある鹿島神宮神官通行拒否事件の記事で神官が「関の下に身を留めていた」との表現があります。又、『奥羽観関聞老誌』と『新編常陸国誌』には名古曽の関の場所が克明に記述されています。

常陸との「国境を去る事 半里にあり、西は高山にて山中を過ぎること六、七町にして、往昔の関址あり」と、又「今の通行の道は後人開く所 にして古昔の地にあらず・・・昔の道は・・・里根川の北岸より分かれて作という地を経て古関の址あり」と、はっきり記されています。

隣国の水戸藩や仙台藩の文献に載っているのです。利府説者が何故このことを無視するのか理解できません。勿来関は自然の地形を利用して低い山の高い所即ち、現関跡付近にあったのです。