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29.③福島県の観光地の勿来の関と区別するため、本論の関をなこその関と記す ④和歌などの文学作品以外の古代史料 に「なこその関」を見出すことすらできない ⑤義家がなこその関を通った頃、桜が散る時期に合致するものはなく、 詞書と歌の内容との間に齟齬があって、どこまでを事実として整理できるか見極めが難しい ⑥「こそ」 とは、 古語における「禁止」の意味の・・・「な来そ」に由来する。現代語では「来るな」という意味。以上、いわきの地区民にとって腹ただしい書き込みがされていますがいかがでしょうか。
③「勿来の関」の他に、「なこその関」があるようなニュアンスですが、『月詣和歌集』と『千載和歌集』との詞書は、「なこその関」です。仙台藩の『奥羽観蹟聞老志』でも、いわき菊田の項で「名古曽関、奈古曽関」の文字が使われています。
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④そもそも和歌は、遊び心をもって詠われたものです。役所の公式な文章ではありません。江戸時代になって市民権を得てようやく幕府の文書にも「名古曽の関」が登場します。もちろん他の地域では 「なこそ関」など登場するわけがありません。
⑤義家が通った頃で桜の散る時ではなかった云々の話は、歌の心を知らない人の邪論です。散る桜は義家の心を表して余りあります。いつ通ったなどの次元ではないのです。彼の陸奥の国における栄光と都で朝廷から受けた処遇を考えれば分かるでしょう。
「吹く風に なこその関と思えども道(みちのくの栄光)もせに散る 山桜かな」(私訳)
なこその関の桜は、陸奥の自己の姿で、散る桜は都での己の姿です。人の心を打つ見事な歌ではありませんか。義家と貞任の衣川で詠んだ感動の歌と似ていますね。
⑥なこその名称を文法的に禁止用法云々という方ばかりですが、これは「勿来」や「莫来・莫越」などの創作漢字に惑わされた誤った解釈です。ひらがなや和かなの「なこそ・名古曽」などが先にあって、漢字は江戸時代に水戸藩内で「一作・仮借」されたことが、厳塾集やひたち帯、東奥紀行・大日本史地理志・新編常陸国誌などから分かります。「仮借」が新編常陸国誌にあるからです。残念ながら「勿来」の文字が、歴史を間違って解釈させてしまっていました。