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影寸千里の検証
・魏志倭人伝が正しいのは、影倍率があるからです。
・全国の設計事務所の皆さんも是非挑戦してみて下さい。
1. はじめに
紀元前二世紀頃、中国にあった『周髀算経』の中に「影寸千里」という科学と数学と測量学、暦学をミックスした学問がありました。
夏至の南中時に南北線上の2点に8尺の棒を立て、その影の差が1寸の時、2点間は千里だというのです。
実験するには南北に広い平原が必要ですが、日本では無理なので机上になります。現代の知識を借りてやってみましょう。JWソフト、又は福井コンピューター社のアーキトレンドなどがあれば大抵の人ができます。これが分かればあなたも話題の邪馬台(壹)国の場所に近づくことができます。
2. 手順
先ず、先の文章を少し直してみましょう。8尺を影の単位と同じ寸にすると10進法で80寸になります。(『中国まるごと百科辞典』によれば、三国時代は1尺10寸でした。)
すると、夏至の南中時、南北線上の2点に長さ1の棒を立て、2点の影の長さの差が棒の長さの 1/80= 0.0125 になる地点間が千里ある ということになります。
現代の日影計画では影倍率という言葉を使うのですが、棒の長さを1とすれば同じことで 影倍率の差は 0.0125 になります。ここが大事なポイントです。影倍率は今昔ほぼ同じで、『周髀算経』にはその影倍率がきちんと書かれているので今でも使えるのです。ここを見逃してはいけません。
したがって、影倍率の差が 0.0125 になる点を見付け、その緯度がわかればその差からkmに換算 すればいいわけです。
少し面倒なのは、影倍率から緯度を見付ける方法です。そのようなソフトがないので日影倍率計算ソフトの条件入力と時刻別結果表を逆に使うのです。A点の緯度におよそ 0.68 から 0.695 をプラスした数値を入れながら、結果表の 12時 の倍率の変化を見ていきます。倍率が基準点の倍率 +0.0125 になればストップです。その時の緯度がB地点の緯度になります。基準点の緯度との差が出ますから、緯度1° の111.317km (赤道半径による) を掛ければ、 A-B間の距離がkmに換算できます。
次の検証で緯度 33°、34°、35°、36° 付近でやってみました。
3. 検証
上表のように緯度 33° 付近では、千里が約 77.365km、緯度 34° と 35° 付近では、約76.808km、緯度 36° 付近では、約75.695km になります。北に行くほど若干短くなります。
洛陽の緯度は 34.48° で、九州北部は 32.667°、九州中部は 32.667°、奈良県桜井市は 34.516°、東京都庁は 35.68° です。因みに都庁では、千里が 76.25km になります。いろいろ検討の結果、千里を 約76km としました。誤差は 0.5% 程度ありますが、2000年以上前の先人の智慧にただただ脱帽です。
※1. 緯度1° の距離は、地球の極半径でなく赤道半径を用いて計算したものです。
※2. 彰国社刊『日照計画の進め方』では、影倍率が小数点第2位、ソフトは第4位でした。正確を期すためソフトを使いました。
※3. 「計算」ソフトは、高い建物を設計する設計事務所ではお持ちかもしれません。JWソフトでもできます。お持ちの方、是非やってみて下さい。
4. 終わりに
以上から分かるように、1尺や1寸が何cmかが分からなくても答えは出ました。長里や短里など捕らわれることなく、誰がやってもほぼ同じ答えになります。
太陽までの距離の捉え方や天蓋説等違っても夏至南中時、南北線上に立てる
棒の1/80の影の差を千里と言う原理は今昔共に変わることはありません。
現代の影倍率を使えば、一時間もあれば確認できることなのです。
これと同様に、方角に 65° もの誤認はあり得ません。万里の遠方でも数度の誤差です。『周髀算経』には、東西南北の出し方も書かれています。倭人伝も八方位表記です。ここから、殆どの方が金印の方に行ってしまうのですが、倭人伝通りにやってみましょう。
唐津の湊付近から東南に 500里 (約38km) に何がありますか。ピッタリ今の佐賀城址です。里数に余の字がないのは、かなり正確だからです。
郡使常駐で一大率を置き諸国を検察しているいわば交通の要衝です。伊都国の行政の中心地が寸分違わず現、佐賀城址のお堀の内側になりました。2010年頃これを知って感動したことが忘れられません。
そこから東南への現在の208号線と筑後川を渡って、442号線の東への道の曲がり角度も道程も倭人伝と酷似しています。(旧道、古道を想定しても)驚くほどピッタリです。又、水行と渡海は同義ではありません。柳川や不知火は渡海にはなりません。小舟が似合います。陸行は草木繁茂、山岳渓谷、橋もなしを想定すれば分かり易いでしょう。
東北の片田舎に住む設計屋にとって邪馬壹国がどこにあってもよいのだが、千里は約76kmであること、倭人伝の方位は誤認ではないことだけは断言できるのです。帯方郡も、倭種の国も、侏儒国もその他も全て符合します。
その他の詳細は、『勿来関研究会』の刊行本紹介『邪馬壹国女王の都を計測する』をご覧ください。
資料1. 経度36°の日影倍率表「日影倍率計算ソフト」(福井コンピューター社)