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32. 二〇〇八年五月の「いわき民報記事掲載」の大失態について。

衝撃的でした。この記事が出てから、がっかりして勿来関顕彰会の活動がストップしました。

二〇二一年に責任者の方を訪ねると「勿来の関は宮城に歩いて行っちゃった」と力なく話されました。幼い時から何十年も勿来の関と共に生きてきた特に年配の方々にとって、「勿来の関は宮城県利府町にあった」との新聞の大きな見出しは、あまりにも衝撃的だったのです。記事を載せた背景がわかりませんが、地域と共に歩むはずのマスコミとしては、配慮が足りませんでした。ましてや当勿来関研究会の調査で、利府説が全くのフィクションから出ていることが分かったのです。利府説に対する反論も載せるべきです。それがマスコミの責任ある姿勢ではないでしょうか。

左は、一六五九年刊の『太平記大全』の一節です。 常陸等の軍勢三万騎が通った時の記事です。

「名古曽ノ関打チ越ヘテ岩城郡二至ル」

軍記でも地理に関しては、信じてよいと思います。当研究会では、三代将軍徳川綱吉所持の原書を入手し、調査しました。名古曽関がいわきにあったことを示す明確な証拠です。これほどのものがあったのです。いわきの歴史関係サークルの

方々も添付史料の太平記大全を見てください。

これに対し、利府説の依書は、この書の百七十年も後の『奥州名所図会』(一八二九年) たった一冊でした。それも詳細に見てみると 「勿来」の文字を赤水の『東奥紀行』から盗作し、あちこちの引用文はフィクションであることがわ かったのです。このような悪書を依書とした利府説を、分からなかったとはいえ、マスコミが、それも地元のマスコミが数回に渡って大々的に報じたのです。これをマスコミの大失態と言わなくて何と言えるでしょう。『奥州名所図会』の盗用やフィクションであることについて、並びに利府説の間違いについては、別項をご覧ください。いわき所在を示す史料は、五十以上もあります。その中には、重要文化財あるいは、文化財級のものもあります。マスコミには、当研究会発信の史料を検証され、正しい報道をされるよう望みます。