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25.宮城県利府には勿来神社や勿来川などの看板がありますが。

勿来神社の碑は、近年造られたようで物的根拠にはなりません。勿来川の呼称も近年のことです。

仙台藩で作った『封内風土記』(一七八一年)には、利府にある川は「市川」一本だと記されてあります。

同じく仙台藩で作った『奥羽観関聞老志』(一七一九年)には、奈(名)古曽関が菊田郡(いわき市)の中に詳しく書かれてあるのです。仙台藩が公式に名古曽関が現いわき市にあると書き記しているのですよ。

又、「勿来」の漢字は、江戸時代に水戸藩関係者がいわきの名古曽の関に創作したものです。それが『奥州名所図会』の中にいくつも使われているのです。著の内容からすると赤水の『東奥紀行』からとってしまったのでしょう。勿来神社の碑や勿来川の立て看板などは、今度は『奥州名所図会』から作られたものなのでしょうか。言うまでもなく、歴史研究者の基本として、史料批判が大前提です。 利府説の原点の書『奥州名所図会』を徹底的に分析して、歴史を正しく後世に伝えるのが、私たちの使命です。あの書の「神書に曰く 久奈斗の神が来勿度神のこと」の個所をよくよく眺めていただきたい。これが勿来の関利府説の原点の書なのです。神社の碑も看板もみっともないことに気付くと思います。彼の幸田露伴が「取るに足らない」と言ったのは、このデタラメを知っていたからでしょう。いわきの一部の地方史家がこれを見抜けず現在に至っていることは、痛恨の至りです。