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24.宮城県利府説の依書として『奥州名所図会』がありますが。

利府説の依書は、一八〇四年から一八二九年に大崎八幡宮の神官によって作られたこの一冊です。『塩松勝譜』もありますが名所図会から取ったものなので、先の一冊のみになります。

この書は、菊田郡の勿来関を何の根拠もなく否定し、又何の証拠も示さず勿来や名古曽の文字を利府の絵図の中や文章の中に散りばめています。そして最後に、常陸の菊田とどちらが正しいか「後の考を待つ」と閉めています。

この書の原書と角川本を詳細に調べるとフィクションであることが随所からわかります。

  • 引用文の改ざん:『前太平記』を引用して「今の総関は名古曽関」旨ありますが、原書に「今の総の関」とはありません。
  • 文の改ざん:神書に曰く「久奈斗の神が来勿度神のことで、関の名」である旨ありますが、記紀に「来勿度」の神は、ありません。神の名を借りた偽造です。フィクション利府説のスタートなので最も大事な所です。
  • 源義家の歌を漢詩に直し「勿来関」の文字を使っていますが、「勿来関」は水戸藩関係者の一作で、いわきの名古曽関に付けたものです。著者は、別箇所で『東奥紀行』を引用しているので盗作したことがわかります
  • 「郷民伝へて想関とも呼ぶ」 とありますが、ほとんどの郷民は今でも「総の関」としか言っていません。ごく近年はほんの一部の人が「勿来関・勿来川・勿来神社」などと言い出し、既成事実を作ろうとしています。

いわきの著名な方の利府での講演会や河北新報への投稿などが、地元に拍車を掛けたようです。

邪馬台国論争や坪石文論争、野田の玉川論争などに似ていて残念なことです。『奥州名所図会』の基本的史料批判をしていただきたい。もし、それで分からなければ、後世に禍根を残さないためにも、当研究会との話し合いを提案させていただきます。

(1)七世紀後半、菊田が常陸国に属していましたが、江戸時代なので石城の菊田になります。