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23.利府説の根拠はなんですか。

出版物と若干お話を伺ったことからお話しします。

裏づけの書は、江戸末期の『奥州名所図会』(~一八二九年)一冊です。先にお話ししたように、内容から長久保赤水の『東奥紀行』(一七九二年)から「勿来関」を盗用したことがわかります。「勿来」の文字は、赤水以前に公になっていません。

東日本大震災前に利府町の教育委員会に電話でお聞きした時は、「私の方では、勿来関が利府にあったということは考えておりません」と明確に否定していたのですが、いつの間にか教育委員会名の立て看板まで立てています。宮城(県立) 図書館でもレファレンスで「利府町の勿来関の文献」を探していましたが、明治時代以降のものだけで、それ以前の物は全くなかったようです。

『奥州名所図会』に引用したものの原書を確認すると、あちこちが書き換えられていることがわかります。 あの書は、フィクションです。したがって利府説を裏付ける正史料は一つもないことになります。以前に利府の某氏に電話で伺った時、その他の根拠として平安の和歌があると言っていましたが、先にお話ししたように、義家の歌も西行法師の忍ぶ恋の歌も利府を指すものではないことが明確です。すると、利府の江戸時代以前の史料は何もないことになります。史料が何もないので、おっしゃられている利府説のすべてが推測です。