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2. 封内名跡志と利府説を考える

一七四一年、伊達藩で領内の名所旧跡等を簡単にまとめた書です。

利府説の依書の『奥州名所図会』より六十年も前のものです。

伊達藩では、この書の三十年前にも、藩内に万葉歌の比定地を探しましたが、 名古曽関跡は、見つかっていません。 そして、『封内名跡志』のどこにも名古曽関は出てきませんでした。何故でしょう。それほどの名跡が領内にあるのなら、何故この著に出てこなかったのでしょうか。

この書の二十二年前に同じ伊達藩で作った 『奥羽観蹟聞老志』 (東北地方の名所旧跡 をまとめたもの)には、現いわき市の「菊田郡(こおり)」の中に実に詳細に「名古曽の関」を紹介しているのです。

冷静に考えれば、答えはすぐわかると思うのですが、 いわきの論客たちも気が付かなかったのか、ブレーキが掛からなかったようです。

利府説の方には申し訳ありませんが、明治三十三年の段階で、文豪で歴史家でもあった幸田露伴が 「利府説もあるが、取るに足らざることというべし」(うつしえ)と記しています。真偽を見抜いていたようです。 利府説の論客方は、史料批判より自論のアピールを優先させてしまったように思えます。