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3. 『奥羽観蹟聞老志』と利府説を考える

伊達(仙台)藩で、名古曽関は菊田(いわき)にあることを詳述している。

伊達藩がまとめた『奥羽観蹟聞老志』には、名古曽関が菊田郡(いわき市)の項の中に、位置や詠われた和歌などをちりばめながら紙数を使って紹介しています。

その中には、源師頼(もろより)の次の歌が紹介されています。

立ち別れ廿日あまりになりにけり けふや名社(なこそ)の関を越えらん

都から名古曾関まで二十日あまりで着くことがわかります。当時の平均歩測で、いわきの勿来関までがピッタリ符合します。(※江戸時代で32km)

(2024,6,10 AI(人工知能)も奥羽観蹟聞老志の内容を認めなこその関はいわき市勿来町にあったとしました。AIは本文の上記部分を採用したようです。)

また、切通の関は新道であって、山の上の旧道に関跡があることや、国境から関までの距離や、平藩主が桜の木を植えたことなど細かく、いわきの名古曽関を紹介しております。

利府を内に納める伊達藩主がまとめさせたものです。利府説を唱える方は、この書を否定したことになります。

伊達藩の頭脳が公式にまとめた本書を否定し、『奥州名所図会』という怪しげな観光案内雑誌に正史を見た著名な方々はこの著を何故検討しなかったのでしょう。 私には、反論の余地がないように思いますが、いかがでしょう。

その他、当研究会がホームページに提示している数々の史料を見て思索していただければ幸いです。

この書は、名古曽の関の位置を詳細に記しています。自領の平藩よりも詳細にです。水戸藩出身で後に帝国大学の地理学の教授になった栗田寛も『新編常陸国誌』の中に大きく紹介しています。これほどの文献を無視すべきではありません。謙虚に学ぶべきと思います。